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人生相談所で働いてるけど、なんか質問ある?

「生きてていいかも」が3ポイント上がるブログ

居場所にコンセプトなんかいらない! 『「他力資本主義」宣言』の内田樹先生に学ぶ場づくりのヒント

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湯川カナさんの『「他力資本主義」宣言 「脱・自己責任」と「連帯」でこれからを生きていく』を読んでいたく感動しました。

湯川カナさんは、神戸を中心に活動している「リベルタ学舎」の代表の方。
「生きる知恵と力を高める」ための学びと実践の場づくりをしているそうです。
そんな居場所をつくるには、どんなことを気をつければいいか、思想家の内田樹先生との対談で語っています。

不登校や引きこもり、高齢者や障害のある人など、社会に居場所がない人が集まれる場をどうやって作りだすか。そんな古くて新しい課題へのヒントが満載でした。

 

設計図は描いちゃダメ! 出発地点で自分を縛らない

居場所づくりってだいたい「不登校や引きこもりのための居場所」とか「一人暮らしの高齢者のための居場所」とか、具体的にイメージを浮かべてつくるもの。
でも、内田先生は、そうしたつくりかたはいい方法ではないと語ります。

内田 こういうグループを作りたいので、集まってください」って言って始めるものじゃないんです。ほんとうに生産的なグループって、不思議なもんで、求人しちゃいけないんです。『即戦力求む』とか絶対しちゃダメ(笑)。

えー、今まで考えてたことと全く逆。どうしてなんでしょう…?

内田 なにも始まってない段階で、「こういうスタッフを集めて、こういうプロジェクトを展開しよう」なんて思ったら、それだけでがんじがらめになってしまう。出発地点で自分を縛るようなことは絶対にしちゃダメ。共同体って、自分ひとりの知性や想像力では思いもつかなかったことを実現するためのものなんだから。ブレークスルーをするために共同体を作るのに、「ブレークスルーするための共同体の設計図」の下絵を自分で描いてどうするのよ。「予想範囲内で、予定通りに起こるブレークスルー」なんて論理矛盾じゃない。

うーん、始める前から「居場所がないこういう人に集まってもらって、こんなプログラムをして」なんて具体的に考えちゃうと、集まった人のアイデアが生かせないってことなんですかね。
せっかくいろんな人が集まったのに、がんじがらめになっちゃって化学反応が起こらないのはもったいない。最初から対象や内容を限定しないで、集まった人やその時の流れに身を任せると、思いもよらないブレークスルーが起きるものなんですね。

 

歴史・伝統、だれでもイメージできることを中心にする

かといって、「誰が来ても、何をしてもOK」な居場所にすると、自由すぎてどう使っていいか分からない気がします。
どんな人が集まるかわからないと、自分に合ってるかどうかもわからないから行きづらい場所になってしまわないでしょうか。

内田先生は、合気道道場「凱風館」を運営しておられます。

内田 ここは道場だから存在理由がはっきりしている。僕個人とは無関係に合気道の思想と技法というものがあって、それを次世代に継承し、世界に広めてゆくという長期的で、スケールの大きい存立理由があるわけです。基本が、縦軸なんです。だから僕が死んでも凱風館の存立理由は変わることなく継続してゆく。この縦軸はまったく揺るがない。

合気道の思想と技法をを継承する」という道場の目的には、個人の思いを超えた歴史の縦軸があります。居場所の目的にありがちな「みんなで楽しく過ごす」とか「いろんな人と触れ合う」とか、そうしたものは個人の思いとしてはあっても、歴史的な縦軸を考えると弱いのです。
歴史や伝統に根ざした「伝えたいこと」「この居場所を作って表現したいこと」を、何としてでも世の中に広め、受け継いでいきたい。そうしたことが居場所の理念になれば、人が集まる安定した旗印になるってことなのかな。

あるいは、誰が聞いてもはっきりイメージできるものがいいのかも。「道場」って言葉を聞けば誰でも同じような空間をイメージできる。でも、「楽しい居場所」だと、人によってイメージが千差万別になってしまいます。
誰でも簡単にイメージできる目的があれば、世代や経験を超えて集える中心になれます。そうしたものを考えればいいんですね。

 

その想いは、だれからも必要とされなくても耐えられるか?

自分が伝えたいことが、本当に居場所の柱になるかどうか。その見分け方はニーズがなくても、無人の場で待ち続ける自分を支えるだけの柱になるのか」だといいます。

内田 誰も来ないということは、「ニーズがない」ということでしょ。そのとき、自分は誰も教わることを望んでないことを教えるために、ここにぼうっと座っているのかなちょっと不安になったけれど、でも平気だった。ニーズがあろうとなかろうと、自分のほうには「どうしても伝えたいこと」があったから。
それは一方にニーズがあり、他方にサプライがあり、需給関係がめでたく成立というのとはぜんぜん違う話なんです。

たとえ1日だれも来なくても、最初の一人が来るまで待っていられるか。もし「ニーズがないならこの伝統は止めます」なんて言ったら、歴史を超えて受け継がれないですからね。

うーん、そんなの簡単に思いつきません。なんだか、発想の仕方を変える必要がありそうです。

 

中身はいいから安定したリアルな場をつくれ!

実際に居場所を作りたいと思ったら、具体的にどこから手をつければいいのでしょう?

湯川 共同体を作らなければと思う人が、もし「最初何をやったらいいですか?」って相談してきたら、答えは「リアルな居場所を作れ」ということなのですね。
内田 そうだね。しっかりした基礎を作ること。
湯川 「居場所」って普通、概念的に使われると思うんですよね。たとえば「みんなが笑顔であるような居場所を作ろう!」とか。でも先生が言われる「場」は、直接的な意味であって、ものすごくとてもリアルな意味での「場」なのですね。

普遍的な目的が決まったら、プログラムとかソフトな部分を考えずに、リアルな場を用意しちゃえばいいんですね。

でも、場をつくるにしても、安定して運営できないと、続かずに行き詰まってしまいます。内田先生は、合気道道場を建てる際にこんなことを考えたそうです。

内田 道場のベースはきちんとしているよ。建物としてもしっかり作ったし、財務的にも安定してるし。だから門人たちは何の心配もなく、好き勝手に遊べるんじゃない。土台がグラグラしてたら楽しめないでしょ。

確かに、居場所のヒト・モノ・カネが不安定だと、安心して過ごすことができません。そこを土台にしていろいろチャレンジすることもできません。中心にしようと決めたことを表現した場所を、安定して続けられることが大事なのですね。

内田 あのね、コンセプトなんか要らないです。手触りとか匂いとか、そっちのほうがずっと大事。

 

やりたいことを楽しくやらないと継続できないよ!

いろいろ考えると悩んじゃいますけど、いちばん大事なのは継続すること。始めることより継続するのがはるかに大変ですが、居場所は継続してこそ意味があります。

内田 いつも言ってるけど、社会的責任を果たすのって、本当に大変なんだ。長期にわたるエンドレスの仕事なんだから。それができるためには「やらなければいけないから、やる」じゃなくて、「やりたいから、やる」というマインドじゃないと、エンドレスの責任なんて果たせないよ。「今の苦しみをぐっと耐えて」というような無理をしてたら、長くは保たない。長期的な仕事をしようと思ったら、喜んでやらないと。

そう、「やりたいから、やる」というスタンスが大事。だれからも頼まれてない余計なことなんだから、楽しんでやらなきゃもったいない。いろんな人に来てもらうにも、楽しそうにしてることはとっても重要です。

内田 楽しいことじゃないと継続できないし、ほんとうに意味のある仕事はそうとう長期にわたって集中的にやらないとかたちにならないからね。短期的で成果が出るっていうことはまずないよ。短期で成果が出るのは金儲けだけだよ。

 

内容をまとめると、居場所をつくる手順はこんな感じみたいです。

  1. 歴史・伝統など、だれでもイメージできる「中心」を考える。
  2. 「中心」を表現できるリアルな場所をつくる。
  3. 場所を安定して楽しく運営し続ける。余計なコンセプトは考えない。

 

抽象的なことが多かったですが、不登校・引きこもりや高齢者などの集める人から考える居場所づくりからはだいぶ違う、本質的なことを知ることができました!
歴史や伝統に基づく「中心」ってなんですかね…。なんとなく「実家」っていうキーワードが出てきました。

まだまだ考えてみます。

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