人生相談所に勤めてるけど質問ある?

人生逃げてもいいと自信を持って言えるように、逃げた先の可能性をつくりたいブログ

自分「ニートやホームレスの暮らしを支える仕事してます」→初対面の人「ヒーローみたいっすね」→自分「」

先日、とあるイベントで田植えに行ってきました。田んぼに入るのはじめてで、長靴買うのにワークマンではじめてのおつかい。

f:id:wa9ta:20150529233629j:imageめっちゃ晴れてて気持ちよかったー。

 

そこで出会ったAさん(仮)とのやりとり。

Aさんは福祉の業界とは縁がなさそうな仕事をしてて、20代で起業してるっぽい人。

 

Aさん「はじめましてー。普段どんな仕事してるんですか?」
自分「福祉の業界でして。うつ病で働けなくて家にこもってたり、お金がなくてネカフェ難民してる人とかの話を聞いて、暮らしを支える仕事をしてるんですよー」
Aさん「へー、ヒーローみたいっすね」
自分「」

 

なんというか、なんて返して良いか分からなかったですよ。
その後ずっと頭に残ってて、なんでこんなに気になるのか考えてみました。

あ、ちゃんと言っておくと、Aさんの言葉を感じ悪く受け取ったわけじゃないですよ。
このやりとりがなんで心に残ったんだろうなーと、ちゃんと向き合いたくなっただけ。
こういうことから意外と大事なことが見えたりするかも、と思ったものでして。

 

 f:id:wa9ta:20150529233739j:image今回植える稲。

 

福祉の世界にヒーローなんかいないのですよ!

まず考えたのは、Aさんがどんな意味で「ヒーロー」って言ったんだろうってこと。
「自分を犠牲にして他人の役に立つ人」みたいな意味なのかな。
自分の仕事内容を聞いて「まあ!福祉のお仕事だなんて、困ってる人のために尽くしてスバラシイ!」とか思ったのだろうか。

 

いやいや、全然そんなことないですから!!!

 

仕事がら、現場の人・役所の人・管理職クラスの人、いろんな人に会いますけど、全部が全部人の役に立ちたい!って人じゃないですよ、正直。
感覚的には、普通に一生懸命やってる人とやる気ない人が2割ずつくらいで、他はどっちでもない感じ。
人生丸ごと投げ出してどっぷり人助けしてる本当のヒーローなんて、1%くらいのもん。

 

しかも、人に幸せを感じてもらったり、不便や不満を解決することでお金をもらってるのって、福祉に限らずどの業界も同じでしょ。
違うのは、お金の出所が税金なのか個人のお財布かだけ。
なんで福祉業界だけヒーロー扱いされるのか、いつもよく分かんない。

 f:id:wa9ta:20150529233750j:image田植えスタート!

 

でも、問題を解決することに快感を感じてるかも…

ここまで考えて、はっと自分の働き方を思い返したわけです。
自分は本当にヒーローっぽい感じに酔ってないだろうか、と。

 

困ってる人の相談所で働いてて、毎日のように「お金がない」とか「うつで具合が悪い」とか相談が舞い込んでくるんですよ。
それを一つ一つ、安定した暮らしになるように一緒に考えていくわけです。
そんな中、一人ひとり上手く軌道に乗るたび、ゲームを攻略した気持ちになってる自分もいるんですよね。

それはそれで楽しいから良いんですけど、時々怖く感じるときも。
何かっていうと、問題を解決することに気を取られすぎると、困ってる人の気持ちを置き去りにしちゃうことがあるのです。

 

例えば、悩みごと親や友達とかに相談したとき。
悩んでることを色々説明したとき、一方的に「こうしたら良いよ」なんて言われても納得できないときってありますよね。
誰でも、アドバイスがしっくりこないときとか、もっと時間をかけて自分で考えて結論出したい時ってある。
他人が出した勝手な結論に乗れないときだってあります。

それなのに、いわゆる「専門家からの助言」って、なんとなく従わなくちゃならない空気になりがち。
相談しに来た人に『せっかくアドバイスしてくれたから言うこと聞かなくちゃ』って気を使わせてしまう、なんてことも。
本当は専門家の方が、そうした気持ちの揺れに敏感であってほしいのに。

 

ヒーローって言葉には「勝手な正義感を振りかざす人」って意味もある。
専門家から見た勝手な「ぼくのかんがえたてきせつなアドバイス」をぶつけて、勝手にヒーローになったつもりになってないか、いつも頭の片隅に置いておかないといけないなーと思いました。

 

自分の中にある『未解決の人間』な部分

てことは、Aさんの「ヒーローみたいっすね」って言葉が、「勝手な正義感を振りかざしていい気になってるんじゃないの?」って意味に脳内変換されたからショックだったってことかも。

自分はいつも心のどこかで焦りがあって、このままじゃダメだ、もっと新しいことやって先に行かなきゃって考えちゃってます。
根っこにあるのはどうしようもない劣等感。
それが困ってる人の相談に乗ってるときにも出てしまって、気持ちを置き去りにして解決を急いじゃうんじゃないかと。

 

ふと、小野美由紀さんのエッセイ『傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら人生が面白くなった』という本の中に『未解決の人間』という言葉があるのを思い出しました。

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「ブラジルには、『マオ・レゾルビーダ』という言葉がある。直訳すると『未解決の人間』。自分の家族や、自分の悩みを、解決していない人間を指して言うんだ。マオ・レゾルビーダは、ブラジルでは社会的に評価されない。たとえ大企業の重役に就いていたとしても、『あいつはマオ・レゾルビーダだからな』と言われて、仲間内では信頼されないんだ。君たちの周りにも、マオ・レゾルビーダはたくさんいるだろ?」

この『未解決の人間』って、「自分の問題が見えていない人、見ようとしてない人」って意味なんだと思うんです。
自分の問題が見えてないから、解決できずに他人にぶつけてしまう。だから、他人にはよく見えちゃうんでしょうね。

 

自分の場合、劣等感があって、それが自分の中のどこからきてるのか見えてない。
見えてないから解決できずに他人にぶつけちゃう。
んな一方的な正義感を「ヒーローみたいっすね」って言葉から気付かされたのかなぁ。

 

こんな風に、自分の傾向を見つめることを福祉の専門用語で「自己覚知」って言います。
まあ、福祉に限った話でなく、自分のダメなところを知っておくのって大事。
解決しなくても分かっていればどうにかなることって多いですからね。

 

 

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なんてことを考えてるうちに、いつの間にか田植え終了。

 

 

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お昼のおにぎり美味しかったー。