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「生きてていいかも」が3ポイント上がるブログ

「頑張らなくても良いよ」という言葉は、社会に対する降伏勧告

毎日生活に困ってる人とお付き合いしてると、こちらが提案する支援を拒否する人とときどき出会います。
例えば、精神科の病気で苦しんでるのに病院に行きたがらない人。
例えば、お金がなくて路上生活をしているのに生活保護を受けたがらない人。

どうやって説得したら良いか悩むことが多いのですが、最近はそもそも「説得」しようと思っている時点で間違ってるんじゃないかと考えるようになりました。

 

本人にとって、福祉制度に頼ることは「自分は無力だ」「社会に負けた」と認めること

 例えば、生活保護
自分で仕事をして生活費を稼ぐことができず、家族や親族にも頼ることができなくて、生活保護に頼る以外にどうしようもない」と思って初めて保護を受けようと考える人が多い気がします。

頑張って頑張って、ボロボロになっても生活が回っていかない。
一人じゃどうしようもないとあきらめられたとき、やっと福祉制度に頼ることを決意できる。
家族の助けがなかったり、安定した仕事に就けなかったり、本人の責任じゃないことで困ったとしても、福祉制度に頼ることは自分や社会への敗北だと考える人もいるのです。


「頑張らなくても良いよ」という言葉は、社会に対する降伏勧告

本当は、そこまで頑張らなくても福祉制度に頼って良いんです。
限界まで力を使い切らなくも、生活を再建する余力を残して制度に頼ってほしい。
日本にいれば誰でも持っている権利なので、使えるものは何でも使って楽になって良いのです。

でも、いくら周りがそう言っても逆効果になってしまうことも。
本人が「まだ頑張れる!」って思ってるときに「福祉制度に頼ろうよ」って言っても、本人にとっては「負けを認めろ」と聞こえているかもしれない。
まるで、社会に対する降伏勧告みたいになっちゃうんですよね。


「本人の気持ち」を大事にして「周りの意見」を受け入れないのは、ワガママなんかじゃない

それは決してワガママじゃない。
本人の気持ちを尊重せず、理屈を伝えても反発されるのが当然。
前にも書きましたが、相手をワガママだと思うってことは、「話が通じない」とコミュニケーションをあきらめてしまうこと。
本人はそれを敏感に感じ取ります。

 

いくら周りから見て「こうした方が良い」と思っても、本人にとっては自分の考えが正しいと思うのが普通。

だって、自分なりに試行錯誤しながら頑張ってきたんだから。
そう思って当然なんです。

本人の主観的な気持ちと周りの客観的な意見は、考えてる本人にとっては同じ価値なんです。
その人の力になりたい私たちも、きちんと同じ価値として扱い、主観と客観の折り合いをつけていく。

その付き合いの中で、自分の状況を客観的に考えられるようになり、必要なときに福祉制度を使えるようになる。
大事なことは「折り合いをつける」というプロセスなのです。


これからの生活を一緒に考えて、上手くいってもいかなくても付き合い続けていく

本人の頑張りを支えながら気持ちを整理していき、生活を良くしていく方法を一緒に考えていく。
緊急性も考えながら、福祉制度を使わない選択も尊重する。
上手くいってもいかなくても結果を本人だけのせいにしないで、次の行動をまた一緒に考えていく。

強引に支援を受けさせようとするより、そうして丁寧に付き合っていくことが、遠回りに思っても結局本人のためになる。
自分はそう思ってます。

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