人生相談所に勤めてるけど質問ある?

人生逃げてもいいと自信を持って言えるように、逃げた先の可能性をつくりたいブログ

焦る気持ちはだいじなきっかけ。目をそらさずに大切にあつかってみる。


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世のニートや引きこもりの多くは、日々焦りを抱えながら暮らしてると思う。

なにをしても結果が出なくて、時間ばかり過ぎていく。

結果が出ないのはしんどいけど、気持ちが焦るのは悪いことだけじゃない。

心が変化を求めてるサインだから、だいじに扱ってみるといい。

 

焦りとは、暮らしと気持ちが停滞してまわりとの差を感じること

ぼくはこの仕事をはじめて2年くらいたってから、ずっと焦りを感じてる。

自分がなまけてるような、手を抜いてるような。

そのあいだに、自分より年下のもっとすごい人はどんどん先を走ってる。

 

いまの人生相談所の仕事をはじめてから、それなりに忙しい毎日を送ってる。

役所や他の相談所でうまくつながらなかった人とじっくり付き合って、なんとなく自分の道を歩んでる姿をみるのがとても好き。

なんとなく成果も出てる感じもする。

 

でもどこかものたりない。

それはたぶん、同じことの繰り返しをしてるから。

本来、同じことを繰り返すのは悪いことじゃない。

反復練習は上達には不可欠だ。

でも、同じ場所をグルグル回ってるだけなんだとしたら、それはただの停滞だ。

 

ぼくはTwitterで意識してぜんぜん違う業界の人をフォローしてる。

自分が働いている福祉業界とほかを比べてみると、その変化の遅さにいつもがくぜんとする。

業界全体としてはそうなんだけど、しっかり変化を取り込んでる人ももちろんいる。

そうした人の姿を見てると、ますます焦る。

 

焦りとは、停滞した毎日に変化を求めるだいじなきっかけ

でもふと立ち止まると、この焦りは悪いもんじゃないな、と気づいた。

はっきりでなくともいまの停滞に気づいてて、心が変化を要求してるってことだから。

いまのままでいいと思ってたら焦りなんて感じない。

逆に、自分で自分の焦りを感知できなかったことを考えると、ぞっとする。

 

 

 

焦る気持ちは行動してはじめて発散できる。

目をそらして一時しのぎしても、あとで必ず倍になって襲いかかってくる。

すごいと思う人のマネをしてみるのもいい。

自分のことを客観的に見てくれてそうな人に相談してみるのもいい。

 

失敗してもいいから行動を起こして、結果をふりかえって、学びを得て次につなげる。

逆に考えるんだ。「失敗しちゃってもいいさ」と考えるんだ。 - 人生相談所に勤めてるけど質問ある?

 

行動のきっかけを焦りがもたらしてくれると思えば、焦りも悪いもんじゃない。

 

おわりに

夜中に突然焦りの気持ちがわいてきて困ったので書いてみた。

自分もちゃんと行動してみて、気が向いたら結果をここに報告してみる。

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「自由で多様な社会」は人にきびしいけど、可能性が開かれたおもしろい社会

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ニー仏さん(@neetbuddhist) の昨日のツイートを受けて。

「自由で多様な社会」になれば、自分を含めた社会のメンバーみんなが尊重されてハッピーになると勘違いしがち。

でも、自分の言うことを尊重してもらいたかったら、他人の言うこともおなじように尊重してはじめてフェアになる。

そこが抜け落ちて「社会で自由で多様になるのは私だけ」とふるまっても、その態度は社会に受け入れられない。

 

 

人生相談所にいると、『今までこれだけ社会から辛い仕打ちを受けてきたんだから、自分の訴えは受け入れられないとおかしい』という態度の人にときどき出会う。

そう言いたくなるのはわかる。とてもわかる。

辛い思いをしてきたのを自分の責任だと背負いきれないから、社会が悪いと考えないとやってられないのもわかる。 

でも、実際にはその訴えはほぼ受け入れられない。「コドモの考え方」とあしらわれるだけ。

 

 

 

世の中は確実に「自由で多様な社会」な方向に進んでる。

ぼくは自由で多様じゃない学校生活がしんどくてしょうがなかったし、ムダな仕事がふりかかってくる職場が耐えられなかった。

だから「自由で多様な社会」なのはよかったって思う。

 

江戸時代だったら親の職業がそのまま自分の職業になったから、職業選択の自由がない代わりにどんな職に就くかを悩む必要はなかった。

でも「自由で多様な社会」は自分がなにを考えてどう振る舞うかをだれも決めてくれない。

自分でぜんぶ考えて、自分で責任を背負って行動することになる。

 

それをどう考えるかは好みだけど、楽な道ではないのは確かかもしれない。

 

 

 

うちの人生相談所に訪れる人には、この楽でない道を進むにはしんどそうな人が多い。

自分の生き方を自信をもって決めるには、いままでの人生がうまく行かなさ過ぎた。

いままでの経験がまるで役に立たないのに、どうやってこれからの人生を決めればいいのか。

 

まずは、社会で受け入れられる方法を総動員して生活を安定させること。

そのあとに、小さくてもいいからとにかく行動を起こして、うまくいった体験を重ねること。

むしろ失敗してもダメージの少ないくらい小さな行動からはじめるほうがいい。

小さくてもうまくいった経験値を積んでいけば、もっと大きな行動もできるようになる。

生活が安定していれば、気持ち的にも時間的にも試行錯誤する余裕が出てくる。

 

「自由で多様な社会」はどう生きるかの選択と責任を自分で背負いこむことになるから、人にきびしい社会。

でも、他人に生き方を決められて、それがぜんぜん合わなかったときを考えたら、きびしくても自由で多様なほうがいい。

そんな可能性が開かれたおもしろい社会を満喫できるには、安定した生活と試行錯誤する経験がだいじ。

生活を支えて経験をいっしょに重ねていくのが、うちの人生相談所の役割なんだと思う。

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極論、人生おもしろおかしく暮らせればそれでいい

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月に1回20人くらいで飲み会をしているおうちプロジェクトに自宅を提供してくれてる、愛すべ無職の家主と共通の友人と3人で飲んだ。

なに話したか全然覚えてないけどおもしろかった。

wa9ta.hatenablog.jp

 

気の合う人と集まって食べて飲んでるだけでいい時間は過ごせる。

今回は鳥貴族だったから5時間で1人3,000円だったけど、家飲みだったら1,000円くらい。

楽しく飲める人さえいれば、そんなにあくせく働いてかせがなくてもじゅうぶんいい暮らしはできそうだ。

このグローバル化した世の中、こだわらなければ衣食にお金は全然かからない。

 

これ、おうちプロジェクトをやるきっかけでもある。

ヒマやさびしさをまぎらわすためにお金を使うくらいなら、とりあえず集まっていっしょに食べ飲みしたらいいんじゃないか。

そのほうが安上がりだし、ムダにお金使うよりよっぽどいい時間が過ごせる。

そんな単純なきっかけではじめて、もうすぐ2年が経つ。

 

そう思うと、やりたくないことをガマンして働く意味がよくわからなくなる。

お金をかけなくても生きていけるし、とりあえず集まればおもしろい時間が過ごせる。

なのに、なんでムリして働かなくちゃならんのか。

下手すると仕事のストレスをお金を使って発散してまた働く感じになる。

意味がわからない。

 

極論、人生おもしろおかしく暮らせればそれでいい。

いまの暮らしがおもしろいかどうかがいちばんだいじ。

他のことは二の次でいい。

 

暮らしがおもしろいという実感があると、生活全体が前向きになる。

イヤなこと、苦しいことをガマンしていると、いつしか自分がなにをおもしろいと感じるのかわからなくなっていく。

自分の優先順位を他人にゆずりわたさない方がいい。

でないと気持ちがこじれて、「自分がこんなに苦しいのは世の中が悪い」と考えるようになってしまう。

 

どうせ働くなら、仕事を自分好みにデザインしたい。

無理ない範囲で働いてあまった時間で楽しく過ごすか、仕事自体をおもしろくしなきゃもったいない。

できればその両方がいい。

イヤなことをガマンしないでいれば、自分にどんなことにやる気を出すか感じ取れるはず。

仕事をやる気の出る方向に変えていけるよう、勉強する時間もちゃんとつくりたい。

会社はそんなことまで考えてくれない。

 

「それができれば苦労しない」と思うだろうか。

人生おもしろおかしく暮らすなんて、そんな大きな望みだろうか。

もしそんなにたいへんに感じるんなら、環境を変えた方がいい。

転職するなり毒親から離れるなり、なにを変えたらいいか考えてみるといい。

 

なにも浮かばないのなら、自分の優先順位がわからなくなっている。

とにかく楽しい、おもしろい、気持ちいいと感じることを試してみたらいい。

少しずつ自分の中のたいせつなことを思い出すはず。

 

理想をみすえて、そこに向かって進む姿勢がだいじ。

向かおうとする意思さえあれば、いつかはたどり着く。

向かっているわけだから。

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パーソナリティ(人格)障害への対応は「安定した人間関係をつくろうとは思わないこと」

行政職員向けの研修で、パーソナリティ(人格)障害についてレクチャーしたのでご紹介。

この前書いたアルコール依存症の話と一緒に説明した。

wa9ta.hatenablog.jp

 

対象は生活保護を担当する人たちなのも前の話とおなじ。

基本は事務職。専門用語は極力使わずにがんばった。

 

昔は人格障害と呼ばれていたけど、いまはパーソナリティ障害の方が一般的。

「人格が障害されている」という名前は、いかにもどぎつい。

いやまあ、英語にしただけなんだけど。

 

 

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パーソナリティ障害は幼児期では正常な言動が成人期に出現する

パーソナリティ障害は名前自体はよく知られてるけど、説明がなかなか難しい。

無理やりかんたんに言うと「幼児期では当たり前に見られていた言動が、おとなになってあらわれる」状態。

 

たとえば、幼児が自分の思い通りにならないとグズって暴れるのは当たり前。

パーソナリティ障害だと、これが大人になって出てくる。

 

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自分が悩む代わりに周囲を悩ませ、社会との軋轢を起こす

もうすこしわかりやすく言うと「自分が悩む代わりに周囲を悩ませる」のが特徴。

おとなになると自分が望むことがすべて叶わないことを理解して、気持ちに折り合いをつけることができる。

パーソナリティ障害の人はそれが苦手。自分の望みをそのまま周囲にさらけ出して、周囲の人間を操作して要求を通そうとする。

 

自分の気持ちに折り合いをつけるのは成熟したおとなにしかできない。

パーソナリティ障害の人は葛藤を抱えるには内面があまりに未成熟。

自分自身で葛藤を抱えることがしんどくて、まわりの人間に押し付けてしまう。

 

 

障害の性質上、まわりの人間を巻き込んでさまざまな問題が起きる。

暴力、アルコールや薬の過剰摂取、リストカット、自殺を企てたりと社会的な問題を起こすこともある。

役所では、要求が通るまで窓口でえんえんと訴え続けたり、他の課や市長あてに電話や手紙を送りまくることもあるようだ。

 

…ここまで書いて読み返したら、まったく手に負えないどうしようもない感じになってしまった。

でもじっさい、まわりとおなじくらい本人自身も苦しんでる。

これまでの経歴を振り返ると、虐待まがいな育ち方をしてきた人もすくなくない。

 

「パーソナリティ障害は治療の対象ではない」なんて言われることもあるが、現場の人は日々つきあうことになる。

ここから先は対応のしかたをみていきたい。

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対応の基本は「親密で安定した人間関係をつくろうとは思わないこと」

…いきなり身もふたもない感じになってしまったが、これにはちゃんとした意味がある。

 

ふつうの人間関係は、おたがいのことがよくわかってて安定した関係を結ぼうとする。

でも、パーソナリティ障害の人には「不安定なことが安定的に起きている」といってもいい。

安定した人間関係をつくろうとすると、居心地が悪くなって不安定にしたくなってしまう。

 

「自分のことをそんなかんたんにわかられてたまるか」とも思ってる。

安易に同情や理解を示すつもりでいると、大きな反発をまねくか、際限ない要求に巻き込まれていく。

 

常識的な関係の結びかたは徒労に終わる。常識に反したかかわり方が必要だ。

 

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振り回されずに一定した対応をこころがけ、生活の安定に焦点をあてる

では、どうすればいいか。

基本方針は、本人に振り回されずに一定した対応を心がけること。

 

本人と話すと、安定した不安定さを発揮してころころと話題や感情が変わる。

そこにいちいち反応しているとまわりの身が持たない。

たとえ本人と会話が成立していなくても、話したい内容を淡々と語り続けるといい。

意外にも本人は怒らず、その話題に合わせてくることが多い。

 

本人と話ていると、どうしてもパーソナリティ障害的な問題が中心になりがち。

アルコール依存のときにも書いたが、問題に焦点をあてるとさらに問題が悪化する。

 

生活が安定して営めているかに焦点をあてるほうがうまくいく。

パーソナリティ障害からくる問題は次から次に起きるので、解決してもきりがない。

いくら人間関係で問題が起きていても生活がなんとか成り立っていればよしとして、そこの安定を目指して会話を続けるといい。

 

投影的同一視という現象が起きることがある。

「自分が相手に抱いている感情が、逆に相手が自分に抱いていると感じる」こと。

本人がまわりに対して怒っているのに、逆に怒られていると感じて被害的になる、とか。

これに対してムキになって否定すると関係がこじれる。

こうした現象があることを知っておき、本人の感情に巻き込まれないことがだいじ。

 

言葉の端々をネジ曲がって解釈して攻撃することがある。

揚げ足を取られないようにいくら気をつけても、言ってもいないことを指摘してきたりもする。

ここもムキになって否定せず、さらりと流すほうがいい。

 

まとめると、本人の揺さぶりや巻き込みに反応せず、生活の安定のみを目指して淡々と事務的につきあっていくことがだいじ。

本人と共通の話題を結べるわずかな一点を探して、そこのみで薄い細い関係をつなげていく。

本人も濃密な関係をつくろうとして破綻し続けてきてるので、淡々とでも長続きする経験を積めると治療にも役立つ。

 

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担当は孤立するので、チームでの対応を

注意点をひとつ。

本人がまわりと問題を起こすと、担当者に批判の矛先が向く。

担当者が本人をうまく対処できないからまわりが迷惑をこうむる、となってしまう。

ときには他部署からクレームが入ることも。

 

担当者が無能でもサボってるわけでもなく、だれが担当してもこうした問題は起こる。

担当者が批判をあびて孤立することを、上司があらかじめ予想してフォローにはいることがだいじ。

ときには、本人にとって耳が痛いことを言う係と生活の安定を話し合う係で役割をわけるとうまくいくことがある。

 

 

まとめ。

パーソナリティ障害の人には、接点がわずかでも継続した安定した人間関係をつくることがもっとも治療の役に立つ。

濃密な関係をつくろうとするとおたがいしんどいので、どれだけラクに持続できる話題をつくれるかがポイント。

ひとりの担当者が対応すると孤立してつぶれるので、チームでのフォロー体制をつくろう。

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逆に考えるんだ。「失敗しちゃってもいいさ」と考えるんだ。

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人生相談にのってると 「もう二度と失敗できない」と話すひとがいる。

何度も就職面接に失敗してきたから、次は絶対正社員に採用されたい。

いままでどの医者にかかっても話を聞いてくれなかったから、次こそはいい先生にかかりたい。

まわりの人たちにジャマされて人生ムダに過ごしてきたから、もう回り道したくない。

 

そこは逆に考えるほうがうまくいくよ、という話。

それはなんでかと言うと、

失敗できないと考えると、逆に成功しづらくなる

ってことがあるから。

 

二度と失敗しないためには、入念な準備をしたくなる。

就職だったら、ブラック企業にあたらないように徹底的に調べて、ここだったら絶対大丈夫という会社だけに応募する。

医者探しもおなじ。ネットの評判をこれでもかと調べつくすか、どんなに遠くても有名どころの病院を探す。

 

でも、こうした事前準備は時間と手間のわりに効果が薄い。

どれだけ調べても100%ホワイトな会社かどうかなんてわからないし、評判のいい医者でも相性が悪ければどうしようもない。

 

それよりもいい方法がある。

 

事前準備より、試してみて失敗した結果から学ぶ

ことだ。

 

二度と失敗したくなくて入念に事前準備をしようとすると、どうしても行動までに時間がかかる。

それよりも、小さくてもいいからまず行動を起こして、その結果から学びを得たほうがいい。

 

就職だったら、とりあえずアルバイトに応募してみる。ハローワークに行って話をしてみるのもいい。

医者だったら、とりあえず病院の待合室まで行ってみる。受付や患者さんの雰囲気がいいかどうかは、病院選びにたいへん参考になる。

 

だいじなことは、行動した結果から学びを得ること。

どんな工夫をしたらいいかは、行動した後の方がよくわかる。

深く悩まずにサクッと行動して、うまくいってもいかなくても結果からよりよい行動のしかたを考える。

その繰り返しがつぎつぎできる人は強い。

 

二度と失敗したくない人にはこれが欠けてる。

ホントは失敗の結果を踏まえてつぎの工夫を得るのがだいじなんだけど、失敗をよくないものと思ってるとふりかえりがしんどくなる。

人間しんどいことはしたくないので、自分は変わらずに失敗しない予防線をはりたがる。

そうすると準備に時間ばかりかかり、腰がどんどん重くなる。

 

二度と失敗したくない人がこじれると、

失敗が続くのは自分じゃなくて世の中が悪い

と考えるようになってしまう。

 

就職ができないのは世の中の会社がブラックばかりだから。

いい医者なんて世の中にいない。医者はみなカネ儲けしたいだけだ。

 

こうなると、失敗から学びを得るどころではない。

恨みを撒き散らずようになるので、人としてどんどん付き合いづらくなる。

チャンスを自ら遠ざけてることもわからずに。

 

成功か失敗かより、どんな学びを得られるかのほうがだいじ

だと思えるといい。

だれも恨まずにすむし、学ぶことはいつも前向きだ。

前向きな人の方が他人は協力したくなるから、いい循環がうまれる。

 

「二度と失敗したくない」から「成功か失敗よりだいじなことがある」に考え方を変えるのはひとりではなかなか難しい。

生活するお金がなかったり借金をしてたり、生活が不安定だとますます失敗できない。

背水の陣はとてもしんどいし、生活の不安定さは成功率を下げる。あたりまえだけど。

 

そのために、自分のような人生相談所ではたらく人がいる。

 

衣食住を安定させることは、いまの日本の社会制度を使えばそう難しくない。

安心して失敗できる環境を整えて、ゆっくりじっくり学んでいけばいい。

 

「失敗しちゃってもいいさ」と思えれば、失敗をおそれずに行動できる。

どんな行動を起こしてそこからなにを学べばいいか、一緒に考えていきたい。

 

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アルコール依存症の人と接するときは「恥をかかせない」のがだいじ

市役所の職員向け研修の講師をした内容から、一部をご紹介。

 

対象は生活保護担当のケースワーカー

福祉関係の資格を持った人もいるけど、大半は事務職と大差ない。

生活保護受給者が増える市町村では、どこもこんな感じ。できるだけ専門用語を使わずにしゃべったつもり。

 

これから書く説明、ホントは職員だけでなく病気の人自身にも知ってもらいたい。

自分自身がどんな接し方をしてもらえると助かるのか知っておくと、周りの人にも説

できるし、職員に不適切な対応をされたときに異議申立てができる。

 

アルコールなどの依存症の人は、特に「わがまま」だの「ウソつき」だの言われやすい。

そういう扱いをすること自体が病状を悪化させてるのも気づかずに。

 

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人生の最優先がアルコールになる。家族でも、仕事でも、好きなことでもなく。

アルコール依存症とはどんな病気か。

ひとことで言うと「生活のすべてがアルコールに支配される」ということ。

言い方を変えると「人生の最優先事項がアルコールになる」ということだ。

 

ふつうの生活では、アルコールは人生の彩り、ちょっとした楽しみ程度のもの。

家族・友人・仕事・趣味などなど、たいてい他のことの方が優先順位が高い。

そうでないとまともな生活が成り立たない。

 

依存症になるとその優先順位が代わり、アルコールが一番になってしまう。

アルコールを飲むためにほかのことがおろそかになり、人間関係をかえりみなくなる

朝からお酒を飲みたいから仕事を休むようになり、酔っ払ったまま出勤したりもする。

 

アルコールのやっかいなところは、精神的・肉体的に依存するところ。

アルコールがカラダから抜けると禁断症状に苦しみ、苦しさから逃れるためにまたお酒を飲む。

もはや楽しむために飲むのではなくなってしまう。

 

 

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アルコールによるさまざまな精神症状

アルコール依存症になると、さまざまな精神症状が出現することがある。

 

幻視は小動物や虫、小人などの小さな生きものが見えることが多い。

昔テレビで子どものカラダに虫が這っている幻視が出て、タバコの火で子どもの皮膚を焼いた、なんてシーンがあった。

 

幻聴は会話形式で自分のことをバカにする内容が多いらしい。

妄想は嫉妬にまつわる内容が多いようだ。

 

アルコールからうつ症状も出る。

そうでなくとも、うつ病の人にアルコールはダメ、絶対。

 

統合失調症うつ病かと思いきや、根っこにアルコール依存症がある人もいる。要注意。

 

重篤な症状として、脳障害が出ることもある。

難しい内容だけど、けっこうヤバイので説明しとく。

 

ウェルニッケ脳症というもので、ウェルニッケさんが見つけたからこの名前がついた。

眼球が思うように動かせなくなって寄り目になったり、急に歩行が不安定になってふらふらするようになる。

意識障害も出て、最悪の場合に死に至る。ヤバイ。

 

命が助かっても後遺症が残ることがある。

コルサコフ症候群といって、コルサコフさんが見つけたからこの名前がついた。

過去の記憶があやふやになって、現在の記憶もおぼつかなくなる。

思考や会話には問題がないので、ちょっと話しただけではわからないことも。

過去と現在の記憶がダメになるので、つじつまを合わせようと日常的にウソをつくようになる。

これがアルコール依存の人がウソつきと言われるひとつの原因。

 

それにしても、覚えづらい病名はだいたい見つけた人の名前がついてるなぁ。

 

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対応の基本は「患者に恥をかかせない」こと

アルコール依存症の治療は、基本的に断酒。お酒をやめつづけるしかない。

でもこれがとっても大変で、再飲酒の確率は80%にもなる。

 

だからといって再飲酒したことを責めると、恥の意識から逃れるために再びお酒を飲んでしまう。

さらに、お酒を飲んだことをかくすようにもなってしまう。連絡がとれなくなってしまうことも。

 

逆に「一ヶ月お酒をのまずにいられてエラい」なんてほめようものなら、「自分はお酒をやめる程度でほめられるのか」と落ち込んでそれが飲酒のきっかけになる。

 

…じゃあどうしろと言うんだよって?

言いたいことはよくわかる。

 

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支援の原則は「七転び八起き」

よく「二度とお酒を飲まない」なんて念書を書かせたりするけど、そんな背水の陣的な覚悟は本人がお酒を飲んだ後毎回思ってる。実際まわりに言ったりもする。

そんなことに意味はないし、恥の意識を強めるだけ。

 

まず心がけたいことは、お酒を飲む飲まないでまわりがいちいちさわがないこと。

どうせ8割再飲酒するんだから、七転び八起きな気分でいたほうが本人もまわりもラク。

 

このいっしょにいてラクかどうかってのが決定的にだいじ。

接していてイヤになるとおたがい縁が遠くなる。依存症の人は孤立してるほど回復がむずかしい。

無理してお酒を飲まないようにガンバるより、お酒のことは重く扱わずにラクな関係で長続きするほうがはるかにいい。

そっちのほうがずっと治療の助けになる。

 

お酒を飲もうが飲むまいが、生活が成り立ってればよしとする。

お酒を飲んでも『また飲んだの?』なんて言う必要はない。罪の意識は言わなくても本人が充分すぎるほど感じてる。

逆にお酒を飲まずにいられても、報告を聞くだけ聞いてサラッと流すくらいがいい。

 

飲酒の有無にかかわらず同じ調子で一貫した態度を取り続けた方が、お酒は人生の重要なテーマじゃないことを態度でしめせる。

アルコール依存症の中心はお酒を飲むことじゃなく、人生の優先順位が変わることなんだから。

 

ちょっと余談。

アルコール依存症の人にかぎらず、最近よく感じることがある。

それは、「一筋縄ではいかない問題に焦点をあてると、さらに問題がこじれる」ってこと。

 

人は他人の問題をみるとすぐに解決したがるけど、本人が自分で解決できないことを他人が簡単にできるわけがない。

人はだれでも健康で安心してくらしたいと思ってるわけで、つねに問題を自力で解決する方向で進もうとしてる。

それが進まないのはその人に問題を解決する気がないんじゃなくて、解決に向かって進むことをジャマするナニカがあるってこと。

 

そのナニカってのは、衣食住の不安定だったり、人間関係の不安定だったり、人が安心して生きていく基本的なこと。

だから、本人の問題を解決したかったら、衣食住を安定させて、その人自身が本人と安定した人間関係を築くのがいちばんいい。

 

 

なにがいちばんいいって、そう考えるほうがおたがいラクなところ。

そのうち本人が元気になって勝手に自分の問題を解決しだすから、それを近くで感じていればいい。

アルコール依存症の人でも他の人でも、いっしょにいてラクなことがいちばんだいじなのだから。

 

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居心地のいい場所をつくりたいから、まず自分が居心地のいい人になる

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愛すべき無職の兄弟が住んでる一軒家を貸してもらって、月に1回20人くらいで集まってご飯を食べてる。

名前をつけたらかっこがつくと思っておうちプロジェクトと名付けて、なんとなくはじまって1年半くらい経つ。

今回(平成29年7月)で18回め。

 

今回はそうめんと天ぷらをつくったのだけど、なんと完成した写真を撮り忘れた。つくり途中の写真で想像力をふくらませてほしい。

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こいつらは将来りっぱなさつまいもの天ぷらになるのだろう。

 

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にんじんはさっきのごぼうとかき揚げにでも。あと枝豆。

 

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愛すべき無職の家主が引きこもりのくせにカラダを動かすことに目覚めた。
唐突に庭で野菜をつくりはじめ、前回は水菜、今回は大根やナスをいただいた。ありがたや。

 

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住宅街のどまんなかで大根を収穫する絵は、なんだか新鮮でおもしろい。

無職の家主は最近筋トレにハマっているらしい。
カラダを動かすと気分もアガっていい感じになるらしい。最近、カラダの疲れをちゃんと自覚できるようになったそうだ。

あと、主食がプロテインになってた。

 

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自分は最近パンデミックというボードゲームにはまってる。
ホントは2〜4人でやるゲームなんだけど、他にやる人がいなかったからひとりでやってた。この日はトータル22人くらいきたのに、結局ぼっちでボドゲやるとか。

こういうときにくじけたらおしまいなので、全力でひとりボドゲを楽しむ。
そうすると、何人かおもしろがって集まってくれた。
無理やり強制してやらせるよりも、勝手に楽しそうにしてる方が人は興味を持つものなんだ。

 

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そして今回、庭師が竹や笹を持ってきてくれた。

庭師の人は去年庭木を剪定してくれて、今回は七夕の笹やら風流だからと竹を持ってきてくださったのだ。ありがたや。

 

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竹はその場で食器や箸に加工してくれた。
プロがやるとあっと言う間にいろいろできて見てて飽きない。

庭師の方々はお仕事のかたわら里山保全のボランティアをやっていて、竹細工の教室なんかもやられているそう。

 

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端材でつくった五輪の飾りとカエルの置物。奥にはかたつむりも。

 

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つくるものはきっと昔からあるものなんだろうけど、これをいきなり住宅地のど真ん中でつくりはじめるのが楽しい。

 

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竹カゴの簡易版的な。

 

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即興で教室的なこともしてくださった。

一瞬でいろいろつくりあげてて、この方たちは本当にこういうのが好きで、好きを人に分けて配りたいんだなってのが伝わってうれしくなった。

あと、その場に出てきたものを気軽に楽しがれるのもすばらしい。好きを配る側と受け取る側がセットになって、楽しい場になっていく。

 

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最後は花火。

 

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だれも家から出ようとしないで縁側に身を乗り出す図。

この後、家中が煙で燻されたのは言うまでもない。

 

帰りながら、いろいろと考えた。

一応自分はこの集まりの主催者なんだけど、昼間からビール飲んで他の人がご飯つくってるのを見ながらゴロゴロしてただけ。今回マジで役立たずだった。

でも、自分が率先して役立たずでいることで、料理もなんもできない人でも集まれる場になるんじゃないか。
主催者が先頭になってバリバリ働いてたら、みんな働かなきゃって気持ちになってしまう。そんなあくせくした場所は職場や学校にあふれてる。

ここではちょっとくらい役立たずでもいいじゃないか。そんな場所にしたいから、主催者である自分があえて全力で役立たずになる。
ホントは本気出したらなんでもできるんだけど、計算した結果ゴロゴロしてるだけ。

 

 

居心地のいい場所をつくりたいから、まず自分が居心地のいい人になる。

そうやって、この集まりを続けていけたらいい。

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