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人生相談所で働いてるけど、なんか質問ある?

「生きてていいかも」が3ポイント上がるブログ

「なにかあったら相談して」と人は言うが、相談するにも練習がいるのだよ

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「なにかあったら相談して」

 

なんとなく困ってそうな人に対して、こんな言葉かけをしたことはないだろうか。
自分はよくある。

何気なく伝えるこの言葉、よくよく考えるとそうとうハードルが高いことだなぁ、と思う。

 

相談の現場で、こんな人とときどき出会う。

生きるか死ぬかのギリギリになってからはじめて相談に来る人。
一回会って話ができても、その後連絡が途切れてしまう人。
なにが相談したいのか聞いてもわからず、同じ話を何度も電話してくる人。
社会への恨みをただひたすら言い続けて、話が前に進まない人。

もっとうまく相談できたらこんなに困らずにすんだのに、とも思う。
でも多分、他人に相談することって、けっこう難しいことなんだ。

 

他人に相談するために必要な3つの条件

他人に困りごとを相談するには、次の3つの条件をクリアする必要がある。

  1. 「相談するといいことがある」と思える
  2. 相談したいことが自分でわかっている
  3. 相手にわかるように言葉にして伝えられる

ひとつずつ考えていく。

 

「相談するといいことがある」と思える

なんて書くと「そんなことは当たり前」と思うかもしれない。

 

不思議なことかもしれないが、世の中にはそうではない人がたくさんいる。

 

  • 親の意に沿わないことをやろうとすると全て邪魔されてきた。
  • 親がメンタルの病気で、ものごころつくころから親の"ケア役"を担わされてきた。
  • 発達障害があって落ち着きがないのを親に否定され、厳しく指導された。
  • いじめをうけて教師に相談しても、なにもしてもらえなかった。
  • メンタルの症状が辛くて相談しても、「薬を飲め」としか言われず気持ちを受け止めてもらえなかった。

などなど、こんなのは実際に見聞きしたごく一部。

 

家庭や学校などで他人に力になってもらったことがない人が、誰かに相談したら力になってもらえると想像できるだろうか。

実際に困って相談しても相手にされない経験を味わった人が、いまさら他人に相談したいと思うだろうか。

 

 

相談したいことが自分でわかっている

これまた不思議なことを言うようだけど。

 

自分がなにを相談したいのか、自分でわかっている人はそう多くない。
ましてや、他人に相談する経験を積んでこなかった人はなおさら。

自分の気持ちを押し殺して生きてると、だんだん自分の気持ちがわからなくなってくる。
いざ他人に相談してみようと思ったときに、適切に自分のことを話せなくなる。

 

親の言いなりになって生きるしかなかった人で「自分がなにがしたいかわからない」って感じてる人は多い。

自分よりも親が望むことを優先して考えてると、いつしか自分がなにを望んでるかわからなくなっちゃうんだ。

 

相手にわかるように言葉にして伝えられる

相談したいことが自分でわかってても、まだじゅうぶんじゃない。
自分の考えを言葉にして伝えることって、なかなか難しい。

 

コミュニケーションって、うまくなるには練習が必要なんだけど、ある程度のコミュニケーション能力がないと経験を積める場に参加できない。ってかさせてもらえない。

コミュニケーションをうまくこなせる人はますますうまくなって、下手な人はどんどん取り残される。コミュニケーション格差が広がっていって、理解も得られず孤立を深めていく。

 

私的領域に公的支援が必要になった

いままで、他人に相談するときには以下の3つの条件を満たす必要がある、と述べてきた。

  1. 「相談するといいことがある」と思える
  2. 相談したいことが自分でわかっている
  3. 相手にわかるように言葉にして伝えられる

もし、あなたが誰かに相談してほしいと思ったら、相手がこの3つの条件を満たしているかを考えてほしい。

 

その人が他人が自分の力になってくれると期待してなかったら、他人と一緒に過ごす安心感、力になってくれる期待感を持ってもらうことからはじめなきゃならない。

それは多分、ただ一緒にいるだけでいいんだと思う。
無理に言葉にしなくても、一緒にご飯を食べたり遊んだりしてればいい。実際、それだけで元気が出て自分の力で解決に向かえる人もたくさんいる。

そんな時間を重ねていろいろ話しているうちに、その人はあなたに相談してくる、かもしれない。
かもしれないくらいの気持ちでいたほうが、きっとお互いラク。

 

もし、あなたが誰かに相談したいのに誰も一緒に過ごしてくれない場合、ここに電話してみるといいかも知れない。

国がお金を出して運営している、24時間・365日の電話相談。

 

よりそいホットラインの報告書にこんな記述があった。

私的領域に公的支援が必要になった

本当にそうだなぁと思う。

 

一緒にご飯を食べて、他愛のない話をする。
どこにでもある「私的」な時間を重ねて、人はコミュニケーションの練習をする。

そんな、当たり前のコミュニケーションの練習ができる人間関係を持たない人が、安心して練習できる機会。

 

「私的」にそうした機会をいつまで経ってもつくれないんだったら、「公的」なところで用意したらいい。

 

「なにかあったら相談して」と言う前に。

「なんでそんなに困ってるのに相談しないのよ!」と言う前に。

 

その人があなたに相談する準備ができてるか。

その人があなたに相談する準備を一緒にできないか。

考えてみたらいいと思う。

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週イチで生活保護を通してるソーシャルワーカーが申請方法を説明してみたよ

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さいきんネットで生活保護についてググる機会があって、申請の仕方を解説してるページがいくつかあって読んでみたのだけど。
そしたら、いまいちわかりづらい上にサイトによって書いてあることがバラバラで、これは混乱すると思った。

先週も生活保護受けたい人と役所に行って申請通したから、経験をもとに申請の仕方をまとめてみた。

 

ひとことで言うと、

生活保護は、1つの基準と2つの準備がわかればOK。 

では、さっそくいきます。

 

もくじ 

 

 

生活保護の申請で基準になる、たった1つのポイント

たいへん大事かつ誤解が多いことなので、最初に書いておく。

 

生活保護の申請でポイントになるのは、たった1つ。それは、

収入・貯金・資産が、生活するのに不足してるかどうか。

申請に当たって他にもいくつか確認されるけど、大前提はこれだけ。

 

大事なことだから繰り返すけど、

生活保護のポイントは生活するお金や資産があるかどうか。

ホントにこれだけ。

 

家族がいる人はダメとか、働けそうだったらダメとか、借金があったらダメとか、世間的にはいろいろ言われてるけど、そのへん考えるのはいっかい後回しにしてOK
なんで後回にするかというと、こういう枝葉のことで引っかかって、「自分には生活保護が使えない」と思い込んでる人が多すぎるから。

申請するときに面接で実際いろいろ聞かれるんだけど、その対策はまた後で。

 

収入はだいたい10万円がボーダーライン

「生活するお金や資産があるかどうか」はどうやって判断されるのか。

これは国が基準をつくってて、そこで生活できるギリギリの金額が決められてる。
この「ギリギリ生活できる金額」のことを、最低生活費という。

最低生活費は住む場所によって変わってくる。都会ほど高く、田舎ほど安い。一人暮らしの場合、だいたい月の収入10万円前後がボーダーライン。

最低生活費からいまの収入を引いた金額が、生活保護でもらえるお金になる。収入は、仕事の給料・年金・仕送りなど、定期的な収入は全部含まれる。

最低生活費には足りないけど、めっちゃ少ない給料でギリギリ生活してる人は、生活保護で数万円かはお金をもらえるかもしれないのだ。

月に数万円だとしても、あるとないとじゃ全然違う。

 

貯金はだいたい5万円がボーダーライン

貯金については、最低生活費の半分以下だったら、持ったまま生活保護を申請できる。それ以上持ってたら、生活保護のお金を最初にもらえるときにその分マイナスされることになる。
月の収入10万円前後が最低生活費のボーダーラインなので、貯金がだいたい5万円前後まで減るのを待ってから申請するイメージ。

あと、借金があっても生活保護の申請には関係ない。
生活保護のお金で借金の返済は原則できないけど、申請する段階でそれは考えなくていい。自己破産とかになるかもだけど、それも生活落ち着いてから考えればOK

 

資産はすぐにお金に替えられるものは生活費に

毎月の収入以外になにかの資産がある人は、先にそれをお金に替えて生活費にあてることになる。
資産とはなにかというと、よく言われるのはこんな感じ。申請する本人名義のものだけなので、家族が持ってるものは関係ない。

  • 解約したらお金が戻ってくる保険(生命保険とか)
  • 数十万単位で売れる貴金属腕時計など
  • 証券
  • 土地建物とかの不動産

でも、不動産と車については、持ってても生活保護を受けられるパターンがいくつか。

お金に替えるといっても、保険や腕時計ならともかく、不動産や車は売りたくてもすぐには売れないもの。
お金に替えるのに時間がかかるものは、売れるまでの間いったん生活保護を受けることは可能だったりする。売れたら役所にお金を返せばOK

いま住んでる家が持ち家だったり、病気とかで生活に車が必須なときは、持ったまま生活保護を受けられる場合もある。

この辺はケースバイケースなので、こっち側で勝手にあきらめないほうが吉。

 

ここまで、生活保護の申請でポイントになる、お金の話をしてみた。
まとめるとこんな感じ。

  • 生活保護収入・貯金・資産がたった1つのポイント
  • 収入=最低生活費を下回ってること。だいたい10万円がボーダーライン
  • 貯金=最低生活費の半分以下。だいたい5万円がボーダーライン
  • 資産=すぐにお金に変えられるものは生活費に。時間がかかりそうなものは後回しでOK

 

 

生活保護の申請に行く前に準備すること2つ

さて、無事にお金の部分がクリアできたら、生活保護の申請に行く準備をしよう。

準備することは2つ。

  1. 役所に持っていく持ちものを用意する
  2. 面接で聞かれる内容をまとめておく

 

【役所に持っていくもの】

役所に持っていくものは、こんなものがあればいい。

  • 健康保険証
  • 年金手帳
  • 家賃がわかるもの アパートの契約書など
  • 給与明細 3ヶ月分
  • 年金証書(年金でお金をもらってる人)
  • 記帳された預金通帳(口座がある銀行全部)

なくしてたらできれば再発行してもらった方がいいけど、無理ならしなくてもOK。いろいろ余裕がないときに余計な手続きを増やしてもしょうがない。

こころとからだのエネルギーを大事にしよう。

 

【役所で聞かれる内容をまとめる】

役所で生活保護の申請をするときに面接を受けるのだけど、そこで聞かれるポイントは2つ。

《働けない理由はなにか》

たとえば、うつ病とかのメンタルの病気で働けない、就職してもすぐクビになって働きたくても働けない、ネカフェ生活してて住所がないから雇ってもらえない、とか。

基本的には現状をそのまま伝えればOKだと思うけど、できるだけ分かりやすいストーリーにできた方が納得されやすい。

 

《家族や親族に頼れない理由はなにか》

働けない理由より、こっちの方が大変かも。

『家族から仕送り受けたり、実家に帰れないんですか?』って聞かれる。
仕送りはともかく、実家に帰れるんなら生活保護の相談なんかしませんよ、って思うけど、役所の中の人もお仕事なんでしょうがない。 

 

生活保護を申請すると、家族や親族に役所から手紙が届く。内容は『この方が生活保護を申請したのですが、援助ができますか?』といったもの。
これに家族が「まるごと面倒みます」と言われなければクリア。「援助できません」はもちろん、「一部だけ援助できます」でも、仕送りを引いた金額をもらえる。

この手紙の返事をどうするか、できる人は事前に家族と相談しておくといい。
仕送りしてもらえるならそれに越したことはないけど、家族が生活苦しくなるまでやることじゃない。ここで無理はしなくてOK

 

「家族や親族」とはどこまでの範囲なのかというと、基本は配偶者、親、子ども、兄弟姉妹。
本当は祖父母とかも入ってくるけど、基本年金生活だからお金の援助はなかなか難しい…。役所の人もそれをわかってるのか、先週申請に同行したときは、祖父母のことはなんにも聞かれなかった。

このへん、役所によって対応にばらつきあると思う。

 

連絡してほしくない家族がいる場合

この「家族や親族」のなかで、絶対に手紙がいってほしくない人もいるかもしれない。
そこはきちんと理由を伝えれば、役所が手紙を送らないようにしてもらえる可能性はある。

たとえば、

  • 関係が悪くて何年も連絡を取っていない
  • メンタルの病気に理解がなくて、会うと病状が悪化する
  • 一回生活保護の申請したときに「援助する」と言ったのに、実際は援助してくれなかった

役所の人は戸籍をみて家族のいどころを調べるので、「死んだ」とかのウソは通じない。ここは正直に。
でもはっきり言わないと伝わらないこともあるので、負の感情はマシマシで表現しよう。

メンタルの病院行ってる人は医者に協力を求めるのもいい。
役所から医者に状態確認がいくので、そのときに「家族と接触すると病状が悪化する」と言ってもらうのだ。

 

ここまで、生活保護の申請に行く前に準備することを書いてみた。
まとめるとこんな感じ。

  • 役所に相談に行く前に、持ち物面接で聞かれる内容を準備
  • 持ち物はできるだけ用意を。通帳の記帳を忘れずに!
  • 家族に連絡をとってほしくない人がいたら、全力で伝える

 

 

役所に行ってもダメだったら、援軍を呼ぶ

準備ができたら、役所の生活保護の担当に行ってみよう。
1回でどうにかなると思わずに、何回かかかる覚悟を持っておくと精神衛生上いい。

でも、何度行っても門前払いされることもある。水際作戦ってやつだ。
そんな目にあったときのために、呼べる援軍をここに書いておく。必要に応じて活用してほしい。

 

よりそいホットライン

279338.jp

 

24時間365日フリーダイヤルの電話相談。

つながりにくいかもだけど、相談内容に応じて対面で支援してくれるところにつないでもくれる。

相談は電話で。

0120-279-338

0120-279-226(岩手・宮城・福島専用回線)

首都圏生活保護支援法律家ネットワーク

www.seiho-law.info

生活保護申請を支援する法律家による、19都道府県にまたがるネットワーク。「首都圏」と書いてあるけど、それ以外でもやってるみたい。
弁護士に相談とかお金とられるイメージだけど、生活保護がもらえてから分割払いでOK

相談は電話で。
048-866-5040 平日午前10時から午後5時まで

 

認定NPO法人 自立生活サポートセンター・もやい

http://www.npomoyai.or.jp/

 

東京のNPO。ホームレスな人たちの支援をしていて、生活に困る人の相談にも乗っている。

相談は面談・電話・メールで。連絡先は下のリンクから。

http://www.npomoyai.or.jp/seikatsusoudan

 

さいごに(おことわり)

できるだけシンプルにするために、くわしい説明をかなりはしょってみた。

具体的な金額とか、地域によっては誤差が出るので、目安程度に思ってほしい。
1人暮らしの人を想定して書いたけど、2人以上の人も基本は同じ。

あと、これを読んで『生活困ってるけど自分はムリそう』と思っても、あきらめないで!
上に書いてある援軍にとりあえず相談してみることをオススメする。

 

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昔は足りない力を"支援”すればよかった。今は自分でがんばれるように"応援"する方が大事

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最近よく考えること。
いままでの考え方が通用しなくなってきてて、新しい方法を考える時期がきてる。

 

生活に足りない部分を"支援"する考え方では通用しなくなってきた

自分は10年近く福祉の業界で働いてきてて、精神科の病院とか、市役所の窓口みたいなところとかで、お金とか心身の健康で悩む人の相談を受けつけるお仕事をしてきた。

そこで困った人の相談に乗る基本スタイルは、来た人の事情を聞いて、補助金とか当てはまる社会制度があれば情報を伝えるかたち。その人に足りない部分を補える"支援"を当てはめるイメージで相談に答えてた。

役所もふくめて、多くの相談窓口ではいまもこんな感じで、実際これで助かる人もいるんだと思う。
でも、いまの相談所で働き出してから、そのスタイルがまったく通用しないパターンが増えてきた。特に10代後半〜20代の人たちに多い感じ。

 

架空のケース例をつくってみると、こんな感じ。

年齢は20代くらい。

大学卒業して働きたいと思ってても、メンタルの病気があってなかなかできずにいた。
小さいときから親から「お前はなにをやっても上手くいかない」的なことをずっと言われ続けてきて、一緒に暮らしたくないけどお金もないから一人暮らしもできない。
精神科にも通おうかと考えたけど、お金もないし通っても意味ないと思うから行っていない。

それでも生活をどうにかしたくて相談所に来た。どうしたらいい?

 

こんな内容を役所とかで相談すると、だいたいこんな感じで答えが返ってくる。

・精神科の通院費は補助できる制度がある。親と相談してお金を出してもらってください。
・メンタルの病気で障害年金がもらえる可能性がある。精神科の病院に行ければ診断書を書いてもらえる。
・仕事したいなら、トレーニングできる場所がいくつかある。連絡先を教えるので自分で連絡とってみて。

…どうだろうか。

 

いまの相談所で働きはじめてすぐ、相談に来た人にこんな感じで返していたら、こう言われた。

「そんなことができれば、苦労はしないです」と。

 

家族の力が弱まって、"支援"につながりづらくなってきている

昔は"支援"にまつわる情報だけ伝えられれば、それだけでなんとかなってきたのだろうと思う。
それはひとえに、家族のサポートがあったからだ。

本人が自分で社会制度にアクセスできなくても、家族が代わりに手続きできる。衣食住の基本も、家族が用意してくれる。
家族のひとりが困っても他の家族が"支援"してくれて、本人も家族も足りない部分は社会制度が"支援"してくれていた。

でも、今はそんな世の中じゃなくなった。
さっきの例にもあったように、親と一緒に暮らしてても関係が崩壊してたり、親自身も病気とかで生活に困っていると、とたんにサポートが得られなくなる。核家族化が進む前なら3世代で支え合えたのだろうけど、とっくにそんな時代じゃない。

こうして家族の力が弱まってきたことで、"支援"につながりづらくなってきてる。

 

学習性無力感は"支援"だけではどうにもならない

だからといって1人で"支援"につながるために動こうにも、この例ではそもそもメンタルの病気がある上、親から「何をやってもうまくいかない」なんて呪いをかけられ続けている。

親から言われなくても、自分でいろいろやってみた結果まったくうまくいかずに、失敗体験ばかり重ねてしまう人にもたくさん出会ってきた。

そんな人たちに「こうすればうまくいくから、やってみよう」といきなり言ったところで、すぐに動けるわけがないんだ。
学習性無力感といって、「何をやってもうまくいかない」と考えてる人は、自分が助かるための行動をしなくなってしまう。だって、うまくいかないのにやっても意味が無いから。

 

そもそも、足りない力を補う"支援"ってものは、学習性無力感とすこぶる相性が悪い。

"支援"を受ける=自力で生活できないダメなやつという考えが強化されてしまう。だから"支援"につながりにくいし、つながってもますます元気がなくなってしまう。

家族の弱体化と本人の学習性無力感
この2つが相まって、昔ながらの"支援"につなぐスタイルが通用しなくなってきてる。

 

足りない力を"支援"するより、自分でがんばる"応援"をする

学習性無力感のところを読んで、「そんなのワガママ」と思うかもしれない。"支援"が受けられるんだからありがたく受け入れろと。
そう、そんな誤解をして接するから、昔のやり方が通用しなくなるんだ。

 

相談に来た人から、こんなことを言われたのをよく覚えてる。

「私の代わりに勝手に問題を解決しようとしないでください。私が自分で解決できるように手伝ってほしいんです」 

周りが勝手に解決方法を決めて"支援"するのは、その人にとっては無力感を増幅させるだけ。
その人自身がこれからを決めてやり遂げる"応援"の方が本当は必要なんだ。

その人に必要な情報を取捨選択しながら説明し、ときには手続きに同行したり、一緒に動いてみる。
折れそうな気持ちを整理して、これからの生き方を話し合う。
ときには一緒にご飯やお茶をしたり、似たような状況の人たちを集めて遊んだりしてみる。

そんなことをして一緒の時間を重ねるうちに、いつの間にか自分で動けるようになってたことも実際にあった。こちらは定期的に報告を受けて、次の動きを一緒に考えるだけの人もいる。
おもしろいことに、社会制度の話はどんどん少なくなって、生き方とか人間関係とか、抽象的な話が多くなってくる。そういう話を腹を割って話せる人間関係こそが、本当は必要なものなんだ。

 

社会制度の"支援"から"応援"へのアップデートは、すぐにはなりそうにない。
どんな"応援"をするかはその人ごとのオーダーメイドだからだ。
現場で試行錯誤して実績を重ねていこうと思う。

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弁護士から少年事件の現状を聞いた。そしたらけっこう衝撃的だった

去年、少年事件を熱心に扱ってる弁護士さんから、ふだんどんな活動してるのか聞いたことがあった。そこでの話がけっこう衝撃的だった。
ので思い出したようにシェア。

 

問題その1:少年事件には弁護士がつく権利が保障されてない

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裁判所HPより引用

まず、大人の刑事裁判にあたる少年審判に、全員弁護士がつけられるしくみがないこと。

刑事裁判は国選弁護人といって、国のお金で全員弁護士がつくしくみがある。だから、お金のない人でも弁護士を頼める。
でも、少年審判にはそんなしくみがなくて、「それじゃまずいだろ」と考えた弁護士会が変わりにお金を出してる。弁護士会の財源は弁護士が払う会費なので、自分たちの報酬を自分たちで払うっていう訳分からん感じになってるのだ。

なんで少年審判に弁護士がつかないかというと、大人の刑事裁判とは違って有罪・無罪よりも今後の子どもの暮らしをどうするかを決めるのが目的だから。
だからといって子どもの代弁者は必要で、法律面でそれが一番できるのは弁護士。てか大人より必要必要だと思うのだが。だって、15歳とかのときに、裁判所で自分のことしゃべれとか言われても無理じゃない?自分だったらとりあえずストレスでお腹壊してるわ。

 

問題その2:事件後のフォローがボランティア頼み

あと、少年審判のあと家に帰された子どものケアがスカスカすぎる。

少年審判での大きな分かれ目は「家に帰れるかどうか」
検討の結果、家に帰れる状態じゃないとなったら児童養護施設とかに行くわけだけど、家の環境が施設に行くまでじゃなければ、基本は家に戻ることになる。
問題は、家に帰った後のフォロー。

とりあえず少年審判が終わるときに裁判所の人とかが親とかに「子どもをしっかりみてね」とか指導するわけだけど、言われてできるならだれも困ってないわけで。
シングルマザーとかのひとり親家庭で親に余裕がなかったり、親や子どもに病気や障害がある場合もある。指導されても親にはどうしようもないことだってある。

家族以外につく人がいないかと言えば、そんなこともない。ひとつは「保護司」。保護観察処分になった子どもには担当の保護司がついて、定期的に会って様子を見たり相談に乗ったりする。
でも、でもね。この保護司が基本ボランティアで、校長先生OBとかえらい立場だったおじいちゃんとかなの。まずボランティアかよ!!って話だし、孫と祖父母くらいに年が離れてる人に相談ってカンタンなことじゃない。

もうひとつは「職親」。補導とか少年院とかの経験がある人たちを受け入れて、仕事と住まいと身元引受をする。
やってる方々はすごいと思う、本当に。ただ、ボランティアなんですよ、またもや。それに、仕事が続けられなくなったときにどうするか、ってのもある。寮とかに住み込みで働いていたら、退職したら家を失ってしまう。職と家を同時に失うという、本当に困った事態におちいってしまう。

つまり、補導された後に家に帰る人をアフターフォローする人は、ほぼボランティア。
ボランティアだから質が悪いとか言うつもりは毛頭なく、本来手厚いフォローが必要なはずなのにボランティア=善意に依存するしくみでいいの、本当に?ってこと。

 

まとめ。

まとめるとこんな感じ。
1.少年審判は大人の刑事裁判と違って弁護士をつける権利が保障されてない
2.審判後に家に帰った後のフォローがほぼボランティア頼み

日本の福祉のしくみ、広く知られてない欠陥=バグがまだまだあるはず。いろんな現場の人から話を聞いてみたら、もっとたくさん見つかるんじゃないかと思う。

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【ひとり親プロジェクト】駒崎氏・常見氏のやりとりにみた、政策提言と個別対応の壁【賛同します】

ひとり親の児童扶養手当の増額を求めるプロジェクトが立ち上がり、ネット署名のキャンペーンが行われています。

日本の母子家庭の就労率は約81%で世界でもトップクラスですが、正職員の率は39%しかなく、パート、アルバイト等非正規雇用が47%です。パートの仕事を2つも3つも掛け持ちをしても収入は少なく、平均年間就労収入は181万円しかありません。父子家庭も子育てのために残業や休日出勤が難しいため、やむを得ず非正規や派遣になるなど生活が安定しづらい状況です。その結果、日本のひとり親家庭の子どもの貧困率は54.6%と、先進国で最悪です。

このように苦しいひとり親家庭の生活を安定させるために児童扶養手当があります。児童扶養手当は、扶養している1人目の子どもには、所得の制限はありますが、最高月額42,000円が出ます。しかし、2人目には、どんなに所得が少なくても月額5000円、さらに3人目以降は、月額3,000円しか出ません。

こうした状況を打開するために、現在2人目月額5000円、3人目以降3,000円の児童扶養手当の加算額を、せめて1万円に増額していただくことを、政府に要望したいと思います。

自分はこのプロジェクトに賛同します。署名もしました。みなさまもぜひ。

さて、このプロジェクトに対して、社会学者でひとり親家庭の子どもでもある常見陽平氏がTwitter上で批判し、議論になっていました。いろいろ考えさせられたので、自分の意見を置いておきます。

 

ひとり親家庭=貧困」のレッテル

今一生氏が常見氏の代弁をする形で文章を書いています。常見氏の思いがよく表されているので、一部を引用します。
正直、駒崎氏への批判は一方的で同意できませんが…。

■常見さんと駒崎さんのツィートで考えた「ひとり親家庭」 | 今一生のブログ

一方的に施されるばかりなら、支援される側は「物乞いになれ」と言われてるように感じるかもしれないし、そうなれば立場も誇りも失うだろう。

どんなに貧しかろうが、どんなにハンデのある暮らしだろうが、「社会的弱者」は一方的に支援されるような「完全に無力な存在」ではない。

むしろ、「彼らには何もない」と貶める視線こそが、当事者自身があらかじめ持っている固有の価値についての関心を見失わせる。

ひとり親家庭=貧困」を前面に出して経済的支援を求めるのは、貧困でない家庭も含めたひとり親全体に弱者のレッテルを貼ることになってしまう。支援する側・される側の上下関係を生んでしまい、ひとり親を「完全に無力な存在」に追いやってしまう。

このことに対する反発が、常見氏の一連のツイートにつながったのでしょう。そうした思いを抱いてしまうのは当然のことで、理解できます。

 

個人の多様な立場を尊重すると、社会問題の解決が遠のく 

これに対して駒崎氏は、ひとり親や女性の貧困に関する統計を示し、現場で実際にみた現状を伝えて反論しています。


また、社会問題に取り組む際、当事者の多様な立場を尊重してしまうと解決が遠のいてしまうことを語っています。

ポイントは以下の二つ。

1.本質からトピックをずらしてしまうことで、建設的議論を阻害する

「ひとり親の貧困が問題だ」→「貧困じゃない人もいる」→「いやいや、それはわかっているんだけど、統計や実際の生活は…」となり、議論の方向が問題解決に向かわなくなってしまう。

2.問題を可視化しようとした時に、「一部の〇〇はそうだが、全体はそうじゃない」という言説は、問題解決を遅らせる

1の結果、問題解決においては本質的ではない議論にずれてしまい、その分解決のアクションが遅くなってしまう。

 

「日本のひとり親家庭の子どもの貧困率は54.6%」というデータから、ひとり親家庭の過半数が貧困状態にあるのはすでに明らかです。「ひとり親は貧困かどうか」より、「どうすれば助けることができるか」を考えたい。これもその通り。

 

個別対応と政策提言では、ときに正反対の態度が正解となる

常見氏と駒崎氏、どちらの意見も単独で見たら理解できるのに、どうして対立した考え方になってしまうのでしょう。

常見氏の文脈は個別対応の場ではしっくりきます。つまりひとり親家庭それぞれに付き合ってよりよい暮らしを考える際に有効な考え方です。
一人ひとり事情が違う家庭に対して「ひとり親=貧困」の先入観を持って対応すれば、反発されるのは当然のこと。それぞれの家庭の生活実態や個人の思いを共有しながら、オーダーメイドの解決策を考える必要があります。

一方、駒崎氏の文脈は政策提言の立場。政策を用いて社会問題を解決するときには、すべての人を満足させることはできません。
例えば、年収100万円以下の人に生活費を支給する制度ができたとして、年収101万円の人はどうするんだ、という話になってしまいます。個別の事情すべてに対応することを考えてしまうと、いつまで経っても社会問題は解決しないのです。

こうして、個別対応、政策提言、立場が異なると正解となる立場が正反対になってしまうのです。両者の意見のすれ違いは、ここに原因があります。

 

当事者から石を投げられる覚悟で、社会問題の解決を目指す

もっとも、駒崎氏を含めたプロジェクトのメンバーは、こうした批判が起きるのは覚悟していたんだと思います。なぜなら、現場で貧困に苦しんでいるひとり親の現状を知っているからです。 

ひとり親の貧困を前面に押し出したキャンペーンを打ち出すことで、生活保護を受けずに頑張っている人、子どものいじめを心配する人など、様々な批判があることは当然予想されます。
ですが、このキャンペーンが成立して制度が改正されれば、経済的に困っているひとり親は間違いなく助かります。だったら、当事者から石を投げられてもやるしかないのです。
「あなたを傷つけてごめんなさい。でもやります。ごめんなさい」と、政策提言の中で生まれる痛みを、個別対応で償うしかない。この姿勢を見せられるかどうかが、批判を和らげるポイント。

自分も福祉の現場でいろいろな家庭を見て、様々な困難さを目にしてきました。ですが、このプロジェクトのような政策提言は全くできていません。自分の力のなさを痛感します。プロジェクトの動向を勉強しながら、成功を応援します。

 

以上、福祉の現場からお届けしました。

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【平成27年9月17日公表】厚労省が公開した「新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン」にコメントしてみた

厚労省から新たな福祉のビジョンが出されました。柱は4つ。

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  1. 包括的な相談体制システム
  2. 高齢・障害・児童等への総合的な支援の提供
  3. 効果的・効率的なサービス提供のための生産性向上
  4. 総合的な人材の育成・確保

少なくともビジョンとしてはどれもその通りだと思います。
いろいろ思うところがあったので、このビジョンにひとつひとつコメントしていきます。マニアックなのは承知の上だー。

 

1.包括的な相談体制システム

今まで分野別に福祉制度が発展してきたのは意味があったんでしょうが、分野をまたいだノウハウ共有が進まず、非効率を生んでいます。そこを束ねる意義は大きい。
本当はどの相談窓口に行っても高齢も障害も児童もなんでもOKになればいいんでしょうが、すぐにはなかなか難しい。中心になる窓口が一つあるとスムーズにいくのは、千葉の中核地域生活支援センターをみればわかります。

中核地域生活支援センターの設置/千葉県

というかこの「包括的な相談体制」って、かなり前から何度も出てきてないですか?生活困窮者自立支援法の自立相談支援事業とか。この新しい相談窓口と生困法の窓口は連携していくみたいですけど。
「包括的な相談体制」がなかなか実現しない原因をちょっと考える必要があると思います。自分が考える理由は後ろに書きましたよ。

 

2.高齢・障害・児童等への総合的な支援の提供

相談窓口だけじゃなく、集まったり泊まったりできる場所も分野をまたいで作っていきたいみたいです。特に過疎地域では、地方創世の予算を使っての取り組みが始まってるとか。

その場所では、集まった人たちで「いかに今日1日を機嫌よく生き延びていくか」を一丸となって考えていければいいんだと思います。よく言われる「支え合い」とも違う。
高齢や障害ゆえの不便さを補うのはサービスかもしれないけど、力を合わせて機嫌よく生き延びるのは、能力のあるなしは関係ない。実際、場のメンバーが最も機嫌よくなれるのは、何もできない赤ちゃんがいることだったりします。

必要なのは支援じゃない。共同体です。

 

3.効果的・効率的なサービス提供のための生産性向上

福祉に効率とはけしからん!と思うかもしれませんが、必要なムダは省いちゃだめだけど、不必要なムダを省くのは大事なこと。
厚労省はICTとか難しいこと言って予算要求してますけど、そこまでしなくてもできることはいろいろあるはず。

例えば、福祉の業界は電話連絡が多すぎる。5分以内に返答がほしいこと、相談ごと以外はメールにしてほしい。電話じゃなくてもいいことで仕事が中断させられるのって、けっこう苦痛。名刺にメールアドレス書いてなくて、FAXせざるを得ないときは絶望的になります。昭和かと。
あと、会議多すぎ。そして長すぎ。進行役が落としどころを考えてないこともあるし、メンバーが言いたいこと言って進行に協力しない。顔をあわせることも大事だけど、Skypeとかも柔軟に活用してほしい。

必要なムダは省いちゃだめだけど、不必要なムダを省くのは大事。大切なので2回言いました。

 

4.総合的な人材の育成・確保

1や2の施策がいいことなのはわかるんだけど、すぐに誰でもできるわけじゃないから研修とかやって育てましょうね、ってこと。そりゃそうです。

自分も2年前から総合相談っぽいお仕事してますが、分野を超えた相談って知識より考え方のハードルの方が大きい。
対象やできることが限定してる相談窓口は「あなたの相談内容はうちじゃないです」って言えばすむけど、総合相談だとそうはいかない。

総合相談では、相談に来た人の暮らしを、分野にこだわらずにあらゆる手立てを駆使して考える必要があります。手立てがなかったら自分たちの手でできることを相談者と一緒にやるんです。ゴミ屋敷の掃除とか。自分も2年で10軒くらいはやりました。まだまだ。

制度とかの知識は相談に乗ってるうちに覚えてきます。言い換えると、相談に来た人が覚える機会をもたらしてくれます。感謝すべき。でも、あらゆる手立てを目の前の人の暮らしを支える考え方は、なかなか身につかない。
相談所のリーダーが指針を身をもって示せるかが重要です。自分はそのへん、恵まれています。

 

厚労省の出すことって、ビジョンはとってもいいけど具体的になると「なんじゃこりゃ?」ってなることもしばしば。いろいろ深堀りしていこうと思います。

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居場所にコンセプトなんかいらない! 『「他力資本主義」宣言』の内田樹先生に学ぶ場づくりのヒント

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湯川カナさんの『「他力資本主義」宣言 「脱・自己責任」と「連帯」でこれからを生きていく』を読んでいたく感動しました。

湯川カナさんは、神戸を中心に活動している「リベルタ学舎」の代表の方。
「生きる知恵と力を高める」ための学びと実践の場づくりをしているそうです。
そんな居場所をつくるには、どんなことを気をつければいいか、思想家の内田樹先生との対談で語っています。

不登校や引きこもり、高齢者や障害のある人など、社会に居場所がない人が集まれる場をどうやって作りだすか。そんな古くて新しい課題へのヒントが満載でした。

 

設計図は描いちゃダメ! 出発地点で自分を縛らない

居場所づくりってだいたい「不登校や引きこもりのための居場所」とか「一人暮らしの高齢者のための居場所」とか、具体的にイメージを浮かべてつくるもの。
でも、内田先生は、そうしたつくりかたはいい方法ではないと語ります。

内田 こういうグループを作りたいので、集まってください」って言って始めるものじゃないんです。ほんとうに生産的なグループって、不思議なもんで、求人しちゃいけないんです。『即戦力求む』とか絶対しちゃダメ(笑)。

えー、今まで考えてたことと全く逆。どうしてなんでしょう…?

内田 なにも始まってない段階で、「こういうスタッフを集めて、こういうプロジェクトを展開しよう」なんて思ったら、それだけでがんじがらめになってしまう。出発地点で自分を縛るようなことは絶対にしちゃダメ。共同体って、自分ひとりの知性や想像力では思いもつかなかったことを実現するためのものなんだから。ブレークスルーをするために共同体を作るのに、「ブレークスルーするための共同体の設計図」の下絵を自分で描いてどうするのよ。「予想範囲内で、予定通りに起こるブレークスルー」なんて論理矛盾じゃない。

うーん、始める前から「居場所がないこういう人に集まってもらって、こんなプログラムをして」なんて具体的に考えちゃうと、集まった人のアイデアが生かせないってことなんですかね。
せっかくいろんな人が集まったのに、がんじがらめになっちゃって化学反応が起こらないのはもったいない。最初から対象や内容を限定しないで、集まった人やその時の流れに身を任せると、思いもよらないブレークスルーが起きるものなんですね。

 

歴史・伝統、だれでもイメージできることを中心にする

かといって、「誰が来ても、何をしてもOK」な居場所にすると、自由すぎてどう使っていいか分からない気がします。
どんな人が集まるかわからないと、自分に合ってるかどうかもわからないから行きづらい場所になってしまわないでしょうか。

内田先生は、合気道道場「凱風館」を運営しておられます。

内田 ここは道場だから存在理由がはっきりしている。僕個人とは無関係に合気道の思想と技法というものがあって、それを次世代に継承し、世界に広めてゆくという長期的で、スケールの大きい存立理由があるわけです。基本が、縦軸なんです。だから僕が死んでも凱風館の存立理由は変わることなく継続してゆく。この縦軸はまったく揺るがない。

合気道の思想と技法をを継承する」という道場の目的には、個人の思いを超えた歴史の縦軸があります。居場所の目的にありがちな「みんなで楽しく過ごす」とか「いろんな人と触れ合う」とか、そうしたものは個人の思いとしてはあっても、歴史的な縦軸を考えると弱いのです。
歴史や伝統に根ざした「伝えたいこと」「この居場所を作って表現したいこと」を、何としてでも世の中に広め、受け継いでいきたい。そうしたことが居場所の理念になれば、人が集まる安定した旗印になるってことなのかな。

あるいは、誰が聞いてもはっきりイメージできるものがいいのかも。「道場」って言葉を聞けば誰でも同じような空間をイメージできる。でも、「楽しい居場所」だと、人によってイメージが千差万別になってしまいます。
誰でも簡単にイメージできる目的があれば、世代や経験を超えて集える中心になれます。そうしたものを考えればいいんですね。

 

その想いは、だれからも必要とされなくても耐えられるか?

自分が伝えたいことが、本当に居場所の柱になるかどうか。その見分け方はニーズがなくても、無人の場で待ち続ける自分を支えるだけの柱になるのか」だといいます。

内田 誰も来ないということは、「ニーズがない」ということでしょ。そのとき、自分は誰も教わることを望んでないことを教えるために、ここにぼうっと座っているのかなちょっと不安になったけれど、でも平気だった。ニーズがあろうとなかろうと、自分のほうには「どうしても伝えたいこと」があったから。
それは一方にニーズがあり、他方にサプライがあり、需給関係がめでたく成立というのとはぜんぜん違う話なんです。

たとえ1日だれも来なくても、最初の一人が来るまで待っていられるか。もし「ニーズがないならこの伝統は止めます」なんて言ったら、歴史を超えて受け継がれないですからね。

うーん、そんなの簡単に思いつきません。なんだか、発想の仕方を変える必要がありそうです。

 

中身はいいから安定したリアルな場をつくれ!

実際に居場所を作りたいと思ったら、具体的にどこから手をつければいいのでしょう?

湯川 共同体を作らなければと思う人が、もし「最初何をやったらいいですか?」って相談してきたら、答えは「リアルな居場所を作れ」ということなのですね。
内田 そうだね。しっかりした基礎を作ること。
湯川 「居場所」って普通、概念的に使われると思うんですよね。たとえば「みんなが笑顔であるような居場所を作ろう!」とか。でも先生が言われる「場」は、直接的な意味であって、ものすごくとてもリアルな意味での「場」なのですね。

普遍的な目的が決まったら、プログラムとかソフトな部分を考えずに、リアルな場を用意しちゃえばいいんですね。

でも、場をつくるにしても、安定して運営できないと、続かずに行き詰まってしまいます。内田先生は、合気道道場を建てる際にこんなことを考えたそうです。

内田 道場のベースはきちんとしているよ。建物としてもしっかり作ったし、財務的にも安定してるし。だから門人たちは何の心配もなく、好き勝手に遊べるんじゃない。土台がグラグラしてたら楽しめないでしょ。

確かに、居場所のヒト・モノ・カネが不安定だと、安心して過ごすことができません。そこを土台にしていろいろチャレンジすることもできません。中心にしようと決めたことを表現した場所を、安定して続けられることが大事なのですね。

内田 あのね、コンセプトなんか要らないです。手触りとか匂いとか、そっちのほうがずっと大事。

 

やりたいことを楽しくやらないと継続できないよ!

いろいろ考えると悩んじゃいますけど、いちばん大事なのは継続すること。始めることより継続するのがはるかに大変ですが、居場所は継続してこそ意味があります。

内田 いつも言ってるけど、社会的責任を果たすのって、本当に大変なんだ。長期にわたるエンドレスの仕事なんだから。それができるためには「やらなければいけないから、やる」じゃなくて、「やりたいから、やる」というマインドじゃないと、エンドレスの責任なんて果たせないよ。「今の苦しみをぐっと耐えて」というような無理をしてたら、長くは保たない。長期的な仕事をしようと思ったら、喜んでやらないと。

そう、「やりたいから、やる」というスタンスが大事。だれからも頼まれてない余計なことなんだから、楽しんでやらなきゃもったいない。いろんな人に来てもらうにも、楽しそうにしてることはとっても重要です。

内田 楽しいことじゃないと継続できないし、ほんとうに意味のある仕事はそうとう長期にわたって集中的にやらないとかたちにならないからね。短期的で成果が出るっていうことはまずないよ。短期で成果が出るのは金儲けだけだよ。

 

内容をまとめると、居場所をつくる手順はこんな感じみたいです。

  1. 歴史・伝統など、だれでもイメージできる「中心」を考える。
  2. 「中心」を表現できるリアルな場所をつくる。
  3. 場所を安定して楽しく運営し続ける。余計なコンセプトは考えない。

 

抽象的なことが多かったですが、不登校・引きこもりや高齢者などの集める人から考える居場所づくりからはだいぶ違う、本質的なことを知ることができました!
歴史や伝統に基づく「中心」ってなんですかね…。なんとなく「実家」っていうキーワードが出てきました。

まだまだ考えてみます。

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